「春を背負って」のあずっち的解釈
みなさんこんにちは。
あずっちです。
「春を背負って」という木村大作が監督をしている映画をみました。
木村大作と言えば、「剱岳 点の記」を思いうかべる人が多いと思います。
その木村大作が手掛ける山を舞台にした2作目の映画です。
登山好き、山好きな人なら絶対に心くすぐられる映画です。
今日は、「春を背負って」についてあずっち的に解釈をしていきたいと思います!
あらすじ
立山連峰で山小屋〝菫小屋〟を営む厳格な父(小林薫)に育てられた長嶺亨(松山ケンイチ)。
社会人になった亨はそんな父から遠ざかるように金融の世界で、会社の歯車として毎日を過ごしていた。
そんなある日、父の訃報が突然届く。帰郷した亨の前には気丈 に振る舞う母(檀ふみ)、その姿を沈痛な想いで見守る山の仲間たち、そして見慣れぬ一人の女性・高澤愛(蒼井優)の姿が。彼女は心に深い傷を負い、山中で遭難しかけたところを亨の父に助けられた過去があった。
父が遺した菫小屋と、父の想いに触れた亨は、都会での生活を捨 て小屋を継ぐことを決意する。 山での生活に悪戦苦闘する亨の前に、父の友人と名乗るゴロさん(豊川悦司)が現れる。世界を放浪してきたゴロさんの自然に対する姿勢や愛の天真爛漫な笑顔に接しながら、亨は新しい自分の人生に向き合い始める。出典:
あずっち的解釈(ネタばれ注意)
この映画では「人間とは何か」ということを深く考えさせられますな。金融の世界(トレーダー)で活躍していた亨が、小屋で働き始め、ゴロさんと愛ちゃんと共に成長していく姿は、自然と調和することが人として大事なことなのだと教えられているような感じがします。
そして何より、この映画のキーマンは「ゴロさん」でしょう。ゴロさんは、あらゆるところを放浪してきた風来坊。
亨の父が亡くなり、亨が菫小屋を継ぐことになりました。そして徹が菫小屋に初めて荷揚げしていていて苦労しているとき、突然ゴロさんが現れます。それから、菫小屋の再建に苦労する亨をゴロさんは支えます。
そんなゴロさんは、かつてエベレスト登山にも挑戦した強者。そこで見たのは、鶴がエベレストを必死で越えていく姿だったそうです。
ゴロさんは映画の最後にこのエベレスト挑戦の時に観た鶴のエベレスト越えの話をし始めます。
「頂上には行けなかったんだけど、鶴がな・・・鶴が真っ白なエベレストを軽々と超えていくんだ。自分の居場所に耐えるためにな。」
昔何かの映像で、あずっちもこの鶴のエベレスト越えを見たことがあるのですが、1度で成功するわけではなく、何度も挑戦するそうです。
何度も何度も強風に吹かれながら、エベレストを越えて、自らの居場所を求めて移動する。
そんな姿をゴロさんは見ていたのですな。
そして、この映画の冒頭。父親と冬山登山をした亨は、父からゴロさんと同じ言葉をかけられていました。父親とゴロさんは一緒にエベレスト登山をしていたと推測できますな。
ちなみに、映画の冒頭で父親はこのように言いました。
「人はな・・・年を重ねるにつれてたくさんの荷物を背負って生きていかなければならないんだ。地図も目印もない。行先も自分自身で決めなければならん。誰かに助けてもらわなければいけないんだ。鶴がな・・・エベレストを越えていくんだ。8,848mの頂を・・・誰も教えないのに、自分の帰るべき居場所をちゃんと知っているんだ。人間なんて到底及ばないよな」
ゴロさんもお父さんも、この鶴のエベレスト越えに人間の真理を観たのでしょう。
お父さんの言葉で始まり、ゴロさんの言葉で終わる。
ここに映画のメッセージがあるとあずっちは解釈します。
「自分の居場所を作るのは大変なこと。しかも、年を重ねるにつれて自分の居場所を作るのは大変になっていく。人は自分の居場所を作るために、誰かに助けてもらわなければいけない」
そんなことをこの映画では伝えたいのだと思います。
年を取るにつれて、だんだん謙虚さもなくなってきたり、素直さがなくなってきたりしますが、自分の居場所を作るためにも他人とのかかわりを大事にしていきたい。
そんなことを思わせてくれる映画でした。
レビューではあまりいいコメントがありませんが、あずっちは好きですよ。
特に山が好きな人にはおすすめな映画です。
では!よい年始を!